『 幸せを繋いで 』
マフティー さん
2008/2/17



 お気に入りの朝ご飯は、カリカリに焼けたトーストに、新鮮なサラダ、それからシャキシャキりんごのヨーグルト。
 味はもちろん、もしかしたら食べるのは簡単という事も古館麗奈がこれらの朝ご飯を気に入っている理由かもしれない。
 トーストは手で、サラダはフォークで、ヨーグルトはスプーンで。
 何はともあれ、麗奈は幸せそうな顔で食卓についていた。横には母である真由美がいつものように微笑みを浮かべ、向かいには兄である総人が眠むそうな顔をしながらトーストを齧っている。幸せな毎日の光景だった。それゆえに、不安にもなる光景だった。
 麗奈は幸せというものがどれほど崩れやすいものかを知っていた。そしてそれは、家族全員が知っている事でもある。だからずっと幸せであろうと、この家族はいつも笑っていた。
 昨日の晩御飯だった酢豚の強烈な匂いが微かに鼻孔を擽るが、そんな事もどこふく風だ。仮に朝ご飯が酢豚だったら大変に思うだろうが、一般家庭では普通朝からそんな重いものは出されない。
 おめざめ占いの結果も上々。よって、美味しそうにヨーグルトを食べる今日の麗奈はいつもより二割増でご機嫌だ。ちなみにラッキーアイテムは鶏飯だった。この占いはたまによくわからないラッキーアイテムを提示する。番組が終わってコマーシャルが入る。小さな子どもが右手と左手、手のしわとしわを合わせて幸せ、と言って仏壇に向かって頭を下げた。嫌なコマーシャルだった。
 窓の外は、久しぶりの銀世界。またこの季節がきたのだと、麗奈は思う。
「早くしろよ。また遅刻するぞ」
「わ、待ってよ兄さん」
 総人は言いながら玄関へと向かう。慌てながら机の鞄をひっつかみ、けれど常人よりはるかに遅い速度で急いで麗奈は総人を追う。既に総人は靴を履いて、ドアノブに手を掛けて準備万端な様子だった。
「だから、待ってってばぁ」
 いそいそと靴を履きにかかる麗奈に、総人は溜め息を一つ。
「雪、積もってるんだぜ?」
「知ってるよ?」
 さっき一緒に確認したじゃない、と言外にニュアンスを含んで返事を返す。すると総人はまた一つ、先程より大きな溜め息を吐いた。
「だから、さっさと行くぞ」
「どうして?」
 麗奈は立ちながら靴を履こうとする。一度座ってしまうと立ち上がるのが困難だからだ。こういう時、麗奈はどうしようもなく「自分」の足が恨めしくなる。
 苦労して靴を履いてから、腕に巻いた時計を見る。いつもどおりの時間だ。だのになぜ、兄がそんなに急かすのかがわからなかった。
 すると力の無い笑顔で総人は、
「麗奈、お前さぁ」
「何?」
「こんな凍った道で、いつもの時間で学校に着けると思ってるのか……?」
「あ……」
 まるで玄関の空気が凍ったようだった。作り物の左足が、いつもより二割増で重く冷たく感じられる。結局、二人は仲良く二時間目からの登校となった。


 自分が出来る最高速の動きで麗奈は準備を済ましていく。それでもその動きは緩慢で、他人を苛立たせ、何より自分を苛立たせる。麗奈は自分にしか聞こえないように舌打ちを鳴らした。
 今日も道路はスケートリンクよろしく最悪の状態だった。いったい、学校に着くのにどれだけの時間が掛かるのやら。
 片割れを失くしても成長を続ける右足に合わせて作り物の左足も大きくなっていったが、新調したばかりでは中々うまく動けない。新調前と後ではわずかな差しかないはずのだが、その微妙な変化が人を惑わすのだ。そう考えると、やはり人の体はよく出来ていると思う。
「おーい、まだかぁ?」
 玄関から兄の呼ぶ声がする。苛立ちというより、あきらめの色が強い言葉だった。きっと今頃、総人の頭の中では「遅刻だぞ、御住」「何!? 今何時間目だ!?」「三時間目」「まだ二時間目かと思ってたぜ……」という友人とのやりとりが展開されている事だろう。
「もうちょっと待ってて!」
 思わず、怒鳴るように麗奈は返した。それからしまったといった感じに口を抑える。悪いのは自分なのに、と。
「早くしろよ」
 準備を済まして玄関に辿り着いた時総人は既に何時もと同じようにいつでも出られる態勢だった。わかってる、と返して麗奈は靴を履きにかかる。
 少しでも時間が惜しい、そういう時でも、総人は決して自分から麗奈を手伝おうとはしなかった。真由美に促されるか、麗奈に頼まれれば動くだろうが、今はただ黙って立っているだけだ。
 麗奈が靴を履くスピードも、徐々にではあるが早くなってきた。それでも「普通」と比べれば比べるまでもなく遅くはあるが、十分なペースと言えるだろう。
「慣れてきたな」
 何気ない一言に、麗奈は視線を上げた。総人は少しだけ頬を緩めて、麗奈を見つめている。
 そういう所に、いちいち気付いているんだなと麗奈は思った。確かに慣れてきたという事はわかるが、それは自分の事だからわかる程度の事だ。それが他人にもわかるという事が意外だった。そしてそれが、嬉しくもあった。
「まぁね」
「よし、行くか」
 満足気に笑って、総人はドアを開ける。するとなぜか総人はすぐにドアを閉めてしまう。
「今日は休みになった……」
「え、なんで……?」
 麗奈の問いに、総人は外を見てみるがいいマイシスターなどと言って、ニヒルに笑った。


「よかったね。すぐに弱まって」
「それでも今日は休みだ……」
 決死の思いで二人が家を出てすぐに吹雪は弱まっていた。今も若干ちらついているが、既に雲の切れ間から太陽も差し始めているし、少ししたら止むだろう。
「早く冬休みになってほしいよ。二学期は三学期と違って朝のホームルームの時間遅らせたりしないしな」
 ぼやくように総人は言う。声を出す度に吐かれる白い息が、二重に寒さを伝えてくれていた。
「しょうがないよ。そういう決まりだもん」
「せめて十二月から施行してくれないかな。そうすれば」
 チラっと麗奈の方を見て、
「少しは遅刻も減るかもしれないしな」
「ぬ〜。兄さん、ひどい……」
「冗談冗談」
 言って、総人は麗奈の頭をはたくように撫でる。
「ぬ〜……」
 お、また出たと言って総人は笑う。はたして何がまたで、何が出たのか、麗奈にはわからなかった。けれど、どこか馬鹿にされているような気がして、麗奈はまた、ぬ〜と小さくこぼす。
 気にしてもしょうがないと軽く頭を振って、足を踏み出す。
 右足。左足。右足。左足。右足。左足、
「あ……」
 と声が出た時には、既に麗奈は尻もちをついていた。少し遅れて痺れるような痛みが打ちつけた所を襲う。スカートも濡れてしまっていた。
「ぬ〜……」
 一つ唸ってから、麗奈は立ち上がろうとする。しかし、足場は最悪な上に、言う事を聞かない左足と右手。ついでに、冷たいお尻。中々うまく立ち上がる事ができなかった。
 そんな悪戦苦闘する妹を目の前にしても、やはり総人は動かなかった。早く手を貸せばいいのに、それをしない。知らない人が見れば、冷たいやつだと言うかもしれない。知っている人が見れば、薄情なやつだと言うだろう。
 しかし、それを麗奈が望まない事を正しく総人は理解していた。甘やかされるだけの、迷惑を掛ける存在にはなりたくないと知っている。だから、手を貸さない。
 だから、麗奈は立ち上がろうとする。ゆっくりとでも、確実に。兄と並び歩くために。
 一方的に支えて欲しいのではない。いつでも助けて欲しいとも思わない。ただ、自分が倒れてしまった時に、立ち止って、自分を見守って欲しい。
 麗奈が総人を兄さんと呼んだ瞬間から、二人は兄妹だった。そこから離れる事も無ければ、それより近付く事も無いだろう。
 自分は汚れていると麗奈は思う。もしそんな汚れた自分が近付いてしまったら、兄まで汚れてしまうかもしれない。だから、近付けない。けれど、近付きたい。近付いて、暖めて欲しい。それは多分まぬけな考えで、けれど甘美な想いだった。
 ようやく立ち上がって、力の無い笑顔を浮かべている総人の横に並ぶ。
「今日も遅刻だ……」
「あ、あはは……」
「遅れたついでに雪うさぎでも作るか……」
 言って、総人はしゃがみこんでせっせと雪をかき集め始める。楽し〜な〜と言う総人の目はどこか虚ろだった。
「もう、兄さんったら……」
 あきらかな呆れを滲ませて溜め息をつく。
 しかし、こんな馬鹿なやりとりを麗奈は望んでいた。それは今の二人が兄妹である事と同じぐらい確実な事だった。あの時も今も、麗奈を囲むのは白い世界だ。けれどあの時は、暖かいはずなのにどこか冷たく寒い病室で、今は寒いけれどどこか温かい総人との銀世界。
 現状に不安はあれど、不満などあるはずが無かった。
「ったく、しょうがねえなぁ」
 結局、十近い数の雪うさぎを作って総人の手は止まった。と言っても麗奈がそれだけの数を作られてさすがに止めたのだが。もし止めなかったら雪うさぎの動物園でも出来ていたかもしれない。
「手が冷たい……」
「あれだけ雪を触っていれば冷たくもなるよ」
「……そうだな」
 総人は濡れてしまった手袋をはずしてから寒さに抵抗しようと手に息を吐いて手を温める。だが効果が無かったのか、総人はしかめっ面をしてコートのポケットに手を突っ込んだ。
「寒い時代になったな」
「何言ってるの……?」
 総人はたまに突拍子なことを言う。意味がわからないし、意味など無いのかもしれない。そんな馬鹿で可笑しな所がどうしようもなく、意味も無く暖かい。
 だから、そんな馬鹿な総人が麗奈は好きだった。
 麗奈は少しだけ迷った顔をしてから、こけないように注意しながら総人の右側に回り込んだ。それから左手のポケットをはずして確かめるように二、三度手を開いて閉じてから、意を決したような表情で総人のコートのポケットに自分の手を突っ込んだ。
「な……!?」
「……こうすれば、少しは暖かいでしょ……?」
 俯きながら麗奈は言った。少なくとも、今の自分の顔を兄には見せられないと思ったからだ。
「ぬ〜……」
「何、それ?」
「いや……」
 はぁ、と総人は溜め息を吐く。嫌がられているのかと麗奈は体をビクと震わした。けれど、それも一瞬だった。すぐに、麗奈よりも一回り大きな手が麗奈の左手を包んだからだ。
「ま、確かに暖かいな」
「…………!!」
 総人は笑顔でそう言った。さっきよりもっと顔が赤くなるのがわかる。二人の距離が零になってコート越しに触れあう肩が、熱を持っているような感じだった。
「こうすれば麗奈もこけなくてすむかもな」
「もう、兄さん!」
 結局普段とあまり変わらぬ様子で二人は歩を進める。普段と少し違うのは、二人が片方ずつ互いに逆の方の手袋をはずしているのと、麗奈の顔がちょっとだけ赤いぐらいの違いだ。
 それ後の学校までの道のり、麗奈は一度も転ばなかった。総人は満足気な顔をしていたが、学校に着いて総人と別れてからどこか浮足立った様子の麗奈が何度か転んだ事を総人は知る由もない。
 結局遅刻してしまいはしたが、いつもより少しだけ早い時間に着いた。またこんな事があるといいのにと、冷たい床にこけながら麗奈は思った。
 ちなみに、二人の登校風景をあるクラスメイトに見られていた総人はこの後尋問される事になるが、それはまた別のお話。



マフティーさん、SS投稿ありがとうございます!
一番乗りです!

麗奈側から見た甘いような酸っぱいような、そんなお話ですね。
麗奈は元来(いろんな意味で)可哀想な子なので、
この記憶も麗奈にとって勇気付けられる一つのいい思い出なのでしょう。
なんだか、応援したくなってしまいます。

「がんばれー! 麗奈っ!」
(ポチくん)


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